林町町会の成り立ち
現在の林町町会のある町域は、元々、小石川村の内でありました。
「江戸砂子」には、「小石川とは、小石の多い小川が幾筋もあるから」とあります。
延享年間(1744-48) 以前から七軒町と称していましたが、明治2年小石川林町と改称しました。
同5年には、一橋家(御三家)、三宅対馬守、林大学頭、松平周防守、近藤殿助、酒井兵庫助など多くの武家屋敷を合併しました。
明治初年、武家屋敷跡地の林、小石川御薬園(植物園)などの樹木の多い地域であり、それで林町と命名されたといわれています。
又林大学頭の屋敷があったので、その林をとって町名にしたとも云われています。
林家は雌府の儒官で湯島の昌平坂学間所を統括し、儒学の最高権威でした。
現在は住居表示の実施で(昭和42年1月)千石1丁目、2丁目、4丁目の一部と変更され、林町という町名は消滅しました。
大正の初期頃より林町町会の前身「協林会」が発足し、其の後数年にして現在の林町町会と改称されたそうです。
昭和10年10月1日の自治記念日に東京市長より林町町会(水上会長)は全東京で最優秀な町会ということで第一に表彰されました。
また昭和22年3月アメリカの占領政策で町会が廃止され解散させられましたが、直前に東京都長官から従来の功績に対して感謝状が授与されました。
顧みますと終戦直後の占領軍の命令で町会は解散の運命にありましたが、平和復興後、町会は自然の勢いで復し倍旧の勢いで盛り上がってきました。林町町会も町民各位の世論で昭和30年1月23日再発足し現在にいたります。
(林町町会創立50周年記念会員名簿「林町町会の由来」より)