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千石のそよ風

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諸聖徒教会に歴史あり

2022/2/20(日) コラム
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2022年元日の夜、テレビ画面の中に、お馴染みの古びた教会や急な坂道を見つけて驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
テレビドラマ「相棒」のロケ地として、また歌番組のライブ中継が行われたりと、ファンの間ではすっかり有名になったらしい東京諸聖徒教会は、2021年11月に創立140周年を迎えました。

教会の100年史を紐解くと、その歴史は1881(明治14)年にアメリカ人宣教師ウッドマンが、麹町区飯田町(現千代田区九段北)に九段講義所を開設したところから始まります。1896(明治29)年には九段中坂に移転し、独立を許されて諸聖徒教会と命名されました。

1907(明治40)年、教勢拡大に伴い神田区西小川町に移転し煉瓦造りの大聖堂が建てられましたが、1932(大正12)年9月1日の関東大震災ですべてを失います。

大震災の翌年に、林町の現在地に土地を得て「大塚聖公会」と合同、「東京諸聖徒教会」となり、1931 (昭和6) 年にはアメリカ人建築家バーガミニの設計による壮麗な礼拝堂が完成しました。当時は尖塔の銅屋根の輝きが、大塚駅のホームからも見えたそうです。

<戦前の牧師館と会館、中央に礼拝堂の塔>

しかし、第2次世界大戦下、1945(昭和20)年4月13日の東京大空襲で爆撃を受け、丸二日間燃え続けた炎が瀟洒な建物のほとんどを焼き尽くし、礼拝堂もコンクリートの外壁のみを残す廃墟と化しました。

戦後は、焼け跡から拾ってきたドラム缶を聖壇にして礼拝を続けたそうですが、中でも1948(昭和23)年のクリスマスに、焼け跡に積もった雪を払い除けて行った礼拝のあと、寒さで風邪をこじらせて亡くなる信徒もいたというエピソードには、心が痛みます。

<爆撃を受けて外壁だけ残った礼拝堂>

 

その後1955(昭和30)年、焼け残った骨組みを生かして現在の形に再建され、手を加えられながら今日に至りました。2004(平成16)年には国の登録有形文化財に指定されています。

さて、千石の地域に馴染みの深い諸聖徒幼稚園の歴史は、1932(昭和8)年4月に東京都の認可を受けて開園したところから始まります。開園時に集まった13名の子どもたちの中には、当時閉鎖となっていた渋沢子爵の家庭幼稚園からの転園もあったとか。

1935(昭和10)年には定員を超えるほどとなったものの、1942(昭和17)年、戦争のためにやむなく閉園。戦後、教会内外からの再開を望む声に押されて1958(昭和33)年、奇しくも開園当初と同じ13名の入園児を得て再び開園し、2015(平成27)年3月に建物の老朽化などのために閉園するまで、長年地域に福音の種を蒔き続けてきました。

 幼稚園は残念ながら閉園しましたが、教会はその後もこの千石の地域のため、とくに子どもたちのための働きが何かできないか模索し続け、このたびようやく進むべき道を見つけました。それは、学童保育と放課後等デイサービスを通した子どもたちへの働きです。

<現在の礼拝堂外観>           <礼拝堂内部>
    

昨年、この新しい働きのために旧園舎を建替えることが決められ、今年の1月から工事が始まっています。昨年12月には園舎の取り壊し前に、卒園生に向けたオープン園舎を開催したところ、二日間でのべ120名以上の卒園生や保護者の方々が来てくださり、諸聖徒幼稚園がいかに地域に根ざし愛された場所だったか、あらためて痛感しました。

 学童保育と放課後等デイサービスは2023年4月の開設を予定していますが、この新しい働きの場が諸聖徒幼稚園のように地域に愛される場所となれるよう、教会員一同願ってやみません。

 最後に、教会はクリスチャンでなくてもどなたでもお入りいただけます。現在は工事のため平日の開放は行っておりませんが、礼拝のある日曜日*でしたら、いつでも見学していただけます。もちろん、礼拝への参加も大歓迎。見学するだけでもよし、静かに黙想するもよし、どうぞお気軽にお越しください!

*新型コロナウイルスの感染状況により、礼拝が休止となる場合もあります。

 

 

東京諸聖徒教会「子どもと歩む新しい働き」、「園舎建て替え」に関する情報は

以下のホームぺージから、または QR コードからご覧いただけます。

東京諸聖徒教会:https://www.nskk.org/tokyo-allsaints/

しょせいとくん 

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